いっぽいっぽ

日常で感じたことなどを書きます。

言わないとわからないこと

みなさんこんにちは。

 

よくテレビで、ある程度お年を召された方に、「おいくつですか?」とリポーターが聞き、帰ってきた答えに対して「お若いですね!全然見えない!」みたいな返答しているのを見ます。おそらくほとんどの方がその返答に満足しているのかなと思うのですが、「年相応ですね!」なんて言う人はいないと思うので、このやりとりいるか?と思ってしまう日本人です。

 

お世話になっていない人に言う「いつもお世話になっております。」も、もう2度と開かれない会だろうなという会の帰り際に言う「またぜひ!」も、仕事増えるからなるべくしてほしくないのに電話切る前に言う「またなんかあったらいつでも連絡してください。」もそうやけど、思ってないのに言う言葉って多すぎませんか。これ日本だけですか?社交辞令というやつなんか知らんけど、誰ですか考えた人は。大抵の人がそれを社交辞令と判断できるから成り立ってますけど、判断できない人も一定数いるわけで、そういう人たちの心をいちいち揺さぶるの可哀想じゃないですか?私は判断できる側だと勝手に思ってそのやり取りに嫌気がさしてますが、誰かの心を揺さぶってる可能性もあるとしたら嫌なんですけど!!

 

失礼しました。人の心を動かすって恋愛に関わらず無責任にしてはいけないと思っていて、感情がたかぶってしまいました。

 

この無責任な社交辞令の語尾に「ほんまは思ってへんけどな。」って実際につけたら全部最悪のやり取りですけど、社交辞令ってある意味、部分的にはそういうことですよね。

 

言わんと分からんことってあるじゃないですか、というかほとんどが言わんと分からないですけど。

同じものを与えられ、同じ空間で、同じことをさせられていたとしても、個人が考えていることってバラバラですよね。それを言語化する能力もバラバラで、例えば一生懸命に本心を語る人、そもそも言葉にするのが苦手な人、得意であるが故に自分の本心を隠してあたかも真実であるかのように語る人、とまあ書いてて疑心暗鬼になってしまいそうなんですけど、結局のところ人の本心ってわからんよなあって思うんです。

もしかしたら前にもブログに書いたかもしれないですけど、高校生の時にある授業の感想に、「どうせ私の意見で世の中は変わらないので私は将来選挙にはいきません。」って書いたら次のその授業で「こんなん書いた人がこの中にいます。」って吊し上げられました。まあちょっと授業の感想にしては舐め腐ってるなあと今になっては思いますが、当時の本心だったと思います。思春期と呼ぶのか反抗期と呼ぶのかわかりませんが、あの頃は自分の感情をありのままにぶつけて相手(主に大人)がどう出てくるかを試していたんだと思います。大人がこちらをこうさせたいっていう意図は汲み取れるけど、それに反発してましたね。反抗期でしたね多分遅めの。

話戻るんですけど、今選挙に行っていない人は沢山いて、その人たちの本心って当時の私の授業の感想と同じなんだろうなっと思っています。あの先生は選挙に生徒を向かわせたいのなら、次の授業のときに「こんな気持ちの若者が日本中に沢山います。わかります。でもね、」と話し始めるべきだったんじゃないか?と若者の投票率を見ると思いますよね。それでも当時の私は反抗期なので、寄り添ってきてきもっ、そんなん言われても行かんしきもっ と思っていたと思いますが笑

 

言わんと分からんことって、言っても分かってもらえないことが多いよなあと思います。同じ境遇に立って初めて理解できることもあるって大人になって感じるし、分かってもらうために会話をする訳じゃないってことも分かるんですけど、どうせ話すなら共感得たいって思うタイプの日本人なんだなあと思います。その気持ちは時に押し付けがましくなりそうなので気をつけたいですが、ある程度の共感(本心じゃなくても)って大事だと思うんですよね。これって社交辞令につながりそうですよね。

 

結論:社交辞令も時には必要

 

でも本当の気持ちを1番大事にしたいよね。

一歩一歩。

おわり

みなさんどうも。

 

ここ最近、さまざまなことに対して「おわり」を意識してしまいます。

 

昔からのものでいくと、旅行。

私は結構おでかけが好きで、旅行も好きなんですが、その中でも道中が結構好きなんですよね。高速道路に乗る前にコンビニに寄ったり、サービスエリアで練り物を買って食べたり、海が見えてきたり、ハザードランプが点滅して渋滞にはまったことに気付いたり、歌をうたったり、、と他にも楽しみは沢山あります。その楽しい道中、なんなら家を出た瞬間、いや、行くと決める時に考えることは、旅行の終わりです。始まるってことはちょっとずつ終わるよなあと考えます。当たり前なんですが、結構強めに考えます。

考えて何を思うかというと、後悔のない旅にしようと思います。あれすれば良かった、あそこ行けば良かった、あれ見れば良かった、あれ食べれば良かった、あれ買えば良かった、って思わないようにしよってことです。

ここからが最近の感覚の話なんですけど、これって、後悔しないための旅になっちゃってないかなって思うようになって、本来の旅行を楽しみたい感覚とはちょっと違うんじゃないかなって思うんですよね。楽しみたいから楽しむ、じゃないよなと。

一昨年ばあちゃんが亡くなったんですけど、その周辺からこの感覚は強まりました。ばあちゃんは、亡くなる1年半程前から入院してて、徐々に弱っていきました。入院する前は一人暮らしをしていて、月に1回ほど会いたくて会いに行ってました。入院してからも、同じぐらいのペースで会いに行ってました。ばあちゃんは最初は早く退院したい、とか、くら寿司食べに行きたい、とか、前向きなことを言ってたんですけど、入院生活が長引き病院や施設を転々とする中で、どんどん生きる気力が弱まり、弱気な発言が増えていきました。そんなばあちゃんを見て、もう会えなくなる日が近いかもしれない、後悔のないように会えるだけ会いたい、と思うようになりました。できる限り会いに行き、会いに行っても自分のことを他の孫と勘違いして、だけど途中で私だと気付くばあちゃん、早く帰るように促すばあちゃん、最後まで別の人と勘違いしたままのばあちゃん、バイバイの時握る手が細く冷たくなったばあちゃん、ほとんど寝ているばあちゃん、色んなばあちゃんに会う中で心の準備ができていったような気がしました。

12月、仕事終わりにLINEでばあちゃんが亡くなったことを知りました。涙は出ませんでした。ばあちゃんに会いに行く途中、少し涙が出ました。後悔が全くないわけではないけど、自分の中でもっと会いに行けば良かったという後悔はそこまで大きくはありませんでした。

それ以降、今回みたいにできる限りを尽くして後悔のないようにしたい、と思うようになりました。

それが良いように作用することもあると思うんですが、家族や自分にとって大切な人と時間を過ごす中で「いつか終わりが来るから〜しないと」という気持ちがあまりにも強くなり過ぎている気がして、何も考えずに、ただそれをしたいからするっていうようなことが難しくなっているなあと感じます。

もしかしたらみんなこの感覚を持っているのに自分が持つのが遅かっただけなのかもしれないけど、終わりばかりを意識してしまう自分が少し嫌です。

色々なことへの義務感が増す上に、寂しさや恐怖のような感覚も混じってしまいます。

小学校3年生ぐらいの時に、死に対する恐怖心がすごく大きくなった時期があったんですけど、その時の感覚に似ているなあと思います。

日々がもっと忙しくなれば、この感覚も薄れてくるのかもしれないなぁとは思うんですが、忘れてしまいたくない感覚でもあるなあとも思い、囚われ過ぎずに上手く付き合っていきたいなあと思ってます。

なんかしんみり?個人的にはしたかなと思うんですが、誰かに話すともっとしんみりしちゃいそうで、でもどこかに発信しないともっとこの感覚に囚われてしまいそうなので、1回書き出しておくことにしました。

沢山のおわりといい形で向き合い付き合っていけますように。

いっぽいっぽ。

 

ログイン

えーお久しぶりです。

先日オードリー若林と南海キャンディーズ山ちゃんのたりないふたりを題材にした「だが情熱はある」をみました。一気見しました。

ジャニーズ(敢えてジャニーズといいます)やからってドラマ出られて良いよなあ、と感じている売れずに燻ってる俳優もどきにも世間にも言いたいけど、あの2人は本当に演技が上手で引き込まれたよ、凄いよ。努力したんやろうなあ。

何でそんな話をしたかというと、今このブログを書くきっかけになったのが、その後メルカリで購入した若林の本にブログの話がでてきて、今フリック入力で文章を打っているからです。

フリック入力の話題は華大千鳥で出てきたんやけど、前田敦子も高橋みなみもフリック入力できないのに、華丸さんはできるらしいです。ちなみに私は日本語はできるけどアルファベットは無理です。あと、夫が前田敦子のことを「まえあつ」って言ってたのがどうしても引っかかってます。

 

そんな話は置いといて、あ、そんな話は置いといてで思い出したんですけど、面白くない先生が「置いといて」の部分を前にならえみたいな手で目の前から右か左かに移動させるの、あれも引っかかってます。

 

話が逸れました。はなそれ。

 

ブログそういや昔書いてたことあったなあ、久しぶりに書きたいなあと思って検索したらログイン画面が出てきて、いやあかなり昔やしなあと思って試しに1回パスワード打ってみたら、間違ってると言われ、これで無理やったらわからんなあってもうワンパターン打ってみたら無事ログインできました。

久しぶりに自分の過去の記事見ようと思ったら8年前でした。文字にして残していないと絶対に忘れていた感覚を少し取り戻せた気がして嬉しかったですね。

でもそれと同時に、心当たりあるログインパスワード2パターンしかないのにそれでログイン出来たってことは、この8年間で色々設定したであろう様々なパスワード、2パターンしかないってことやん、、このAI爆発の時代に2パターン、しかも自分で考えてる安全性低めであろうパスワード。ログイン出来た嬉しさと同時に、今の時代を生きる上では、もっと複雑なパスワードが必要なんじゃないかと思いました。

最後に、パスワードで思い出したんですけど、今小学生って1人一台タブレット端末が配られてるんですね。でもよく考えてください。小学校1年生でローマ字入力出来る子なんてまだまだ少ないんです。でもあの子達にもログイン画面が出てくるんですね。お誕生日とか簡単な数字なら入れられるけど、それは簡単に予測できて危ない、そう考えた親御さんが考えたパスワードが素敵だなあと思ったんですが、一体何だと思いますか。

正解は

 

「いちご」

 

です。ichigoは打てませんが、ひらがなで「い」「ち」「こ」「“」と押せば良いのです。いちごだけでは短いので他の何かと組み合わせていたんだと思いますが、結果的にそれはローマ字表記では複雑な予測しにくいものになっていたと思われます。私のパスワードよりはるかに、いちごの方が複雑なんですね。

 

なんか良いパスワード思いついたら教えてください。

 

ではまた。

一歩一歩

 

こんばんは。

お久しぶりです。

 

私は1ヶ月前に2年半付き合った相手と別れました。

別れた理由はひどい束縛が大きな理由で、もっと大きな根本的な理由は、好きではなくなったからです。

元彼に対する未練といったものは0です。

 

しかし2年半ほぼ毎日一緒にいたので、心には大きな穴がぽっかりと空きました。

 

ぽっかり空いた穴を友達と遊ぶ時間や、動画鑑賞などで埋めようと思ったのですが、埋めることはできませんでした。

友達と遊ぶ時間は楽しいし、とっても有意義。だけど、心に空いた穴を埋めるには少し直径が足りないといったところです。4センチほど。空いた溝は深く、少しずつ底から地盤を固めていっているところです。まだまだ時間はかかりそう。

 

そして私は今恋をしています。

しかしその人には相手がいます。

 

相手がいる人を好きになるなんて絶対にないと思ってたけど今起こっています。

彼女持ちを好きになって得することなんて何もないし、傷つくことは分かってます。

 

だけど好きになってしまったら止めることができません。

 

ただ、人を好きになることは今まで何度かありましたが、今回は今までとは少し違います。

それは、

好き=付き合いたい

とならないことです。

 

なぜ付き合いたいと思わないかというと、その人は相手がいるのにもかかわらず、他の女と2人で会ったり飲んだり泊まったりするからです。

自分がもし付き合えたところで裏で同じことをされる。

それを分かってて付き合いたいとは思いません。

 

顔がタイプかと言われればそうでもない、性格が良いかと言われるとそうでもない、飛び抜けて優しいかと言われるとそうでもない、ガタイが好きかと言われるとそうでもない。

 

どっちかというとイライラする場面が多いし、価値観は違う。

 

だけど好き。

私の心の隙に入り込んで来たんです。

 

最初の頃はドキドキすることが多かったけど、今は一緒にいてドキドキすることはありません。

 

だけどどこか心地よくて、一緒にいると時間があっという間に過ぎてもっと一緒にいれたらなって思います。

 

相手にとって自分がたとえ1番じゃなくても、2番じゃなくても、6番でも7番でも、もうもはやランク外でも、それでも好きなんです。

 

本当にずば抜けてバカな恋愛に首突っ込んでると思います。

 

ひょっとして、その人を好きでいる自分が好きなのかなって思ったりもします。

もしかしたらそうかもしれませんね。

 

苦しい道選んでる自分が、その話を友人にしてる自分が、好きなのかもしれません。

道を踏み外してる私を応援する友達は正直いません。

友達には恵まれてるなぁとつくづく思います。

 

適当に、良いやん攻めやー

なんて言いません。

 

正論をきちんとぶつけてくれます。

そんな素晴らしい友達がいるのに、私は本当にバカだなぁと思います。

 

バカだと思うのに好きなんですよね、バカですね本当に。

 

今まで自分が経験したことない好きという感覚。絶対に実らない恋。

手のひらで転がされてる自分。

あからさまに下に見られてる自分。

 

一体何がいいんだろう。

答えはまだわかりません。

 

痛い目にあって初めて気付く。

こんな言葉をよく耳にします。

 

痛い目にあうのかな?

そんなことは私にはわかりません。

 

三年後、こんなこともあったなぁって言ってたいなって思います。

先が見えなくて怖いけど、今はこの状態にすがって生きてくしかないんだと思います。

 

別れて欲しいけど

付き合いたいとは思わない

なら好きにならなければいい

わかってるけど

処理しきれない

 

本当にどうしたものか

 

すき

 

ってこわいね。

 

いっぽいっぽ

知るべきタイミング

 

雨の日の独特な匂いって

コンクリートとかについた埃の匂いやねんて

 

干したてのお布団の匂いって

ダニの死骸の匂いやねんて

 

産みたて卵って

無精卵やったらひよこは産まれへんねんて

 

小学校の理科って

メダカとかの飼育、繁殖とかは勉強すんのに

人の受精については取り扱わへんねんて

 

おかしくないですか?

なんで取り扱わないんですか?

しかも取り扱わないっていうルール作らなくてもよくないですか?

 

私は小2のときに担任の先生が人の受精のことをにごして、どうやったら子どもできるかは、3年生で教えてもらえるよって言われたことめっちゃ覚えてる。

けど3年生では教えてもらえなかったことも覚えてる。

 

まあなんでこんなこと考えたかっていうと、この前小学校にボランティアいったときに

小3になりたての男の子に

『ねぇ、SEXしたことある?』って聞かれたからなんですけど。。

『ないよ。』って答えたけど、なんか子どもに対する性の話ってめっちゃくちゃ難しいし、家庭によっても違うと思うし、めっちゃ考えさせられたんですよね。

 

早く教えることがいいのか悪いのか、ほんまに考えどころですよね。嘘つくのも違うし、ほんまのこと言うのもなんか違う気がするし、知るべきタイミングってありますよねほんと。

 

ってはなしでした。

 

 

 

 

ちょっとしたひとこと

 

 

やっぴー。

最近スマホを触ることに罪悪感を感じるので、ブログを書くことが少ないです。

でも、自分の思いを言葉にするっていうことは、少なからず学びに繋がると思うので、今日はブログを書くことにしました。

 

今年に入ってから、とある理由でインスタグラムとツイッターを見ていないのですが、あれって、そこまで仲良くない人とも繋がってるじゃないですか?だから、仲良くなくてもその人の現在を知れるツールな訳ですよね。

 

でも、今や自分がラインをしていない人のことなど何もわからないのです。就活のストーリーがうざい、といったことを友達から聞くぐらいで、もう私はそっちの世界のことは、何もわからないんです。

 

意外とこれいいですよ。

これっていうのはインスタグラム等を見ないことです。

見なくても100パー生きていけます。なんなら、無駄な他人の自慢を見てイラつくことがなくなるので、ストレスが減ります。

皆さんネット社会に疲れたらログアウトをお勧めします。

ネットは簡単に繋がれる分、簡単に離脱できるんです。このこと忘れちゃいけませんよ。

無駄な時間は省いて生きましょう。

 

本題なんですけど、

皆さんは、

満員電車から降りるときに

1、黙ってズカズカと、おいこらどけやスタイルで人の間を歩いて出て行く。

2、すみません降ります、とへこへこしながら人の間を歩いて出て行く。

 

どっちがいいと思いますか?

 

私は2がいいと思います。きっと2の降り方だと、どけてあげようって思ってくれる人もいるだろうし、その人が電車から降りた後に、その人が降りたことに対して不快感を抱く人は、いないと思うんですよね。降りる人も、すっと避けてもらえてすっと出られて嬉しいですよね。

 

うぃんうぃんですよね。

うぃんうぃんってすごいいい言葉ですね。

 

だけど世の中には1のような人も居ますよね。

 

もおどけよ!と言わんばかりに出ていきますよね。

ひとこと、すみません、と言うだけでいいのに、その一言が出ない人、案外多いですよね。

 

ひとことが持つ力って偉大だと思うんですよ。

 

私が嫌なパターンは他にもあります。

①授業中プリントの答え合わせで聞き漏らしてしまってわからないからといって、黙ってプリントを覗き込んできたり、なんなら勝手にプリントを触ってくる。

 

②ルーズリーフを忘れたから一枚ほしいときに、一枚ちょうだい、と言ってくる。

 

【嫌なポイント】

①黙って 勝手に

②一枚ちょうだい

 

【改善ポイント】

①+ごめんちょっと見せて

 

②+ごめん一枚ちょうだい

 

 

【うぃんうぃんワード】

                           ごめん

 

 

たった3文字足せばうぃんうぃんなのに

ものすごーーく不快。

 

こういうこと当たり前にできるかできないかって、私にとって仲良くなれるかならないかの大きな境目。

 

こうはいってるものの、自分ももしかしたらできてないときあるかもね。

 

ひとこと、たったひとことやけど

その  たった

を大事にしていきたい。

 

一歩一歩。

 

読み書き

 

ぱって思ったこんにちは

 

読書の終わりを

 

大学入学当初は

本を最後のページまで読み終えること

 

としていた

 

現在は

最後のページを読み終え、

む?終わりくん?

は?で?

 

続き気になるー

 

おっと続編販売〜⤴︎

 

読む

 

え?おわりくん?

なに?

自分で考えろったこと?

え?

 

モヤモヤモヤ

 

こういうこと?

あーいうこと?

どーいうこと?

 

ふむふむ

まあこういう感じかな?

 

 

自己解決万歳

 

と言った感じが読書の終わりとなっている

 

読書ってどこまでを読書というんだろうね

本を読み終えることなのか

本を読み終えて、こーかな?あーかな?って考える時間も読書に含まれるのかな

 

それに早く気付けてたら

中学の読書週間に本を読んでなくて怒られた時

 

いえ、私は今読書をしているのです

本と対話してるのです

 

って言えたかもしれないね

 

でももう

後の祭りだね

 

奥深いな読み書き

 

一歩一歩。