いっぽいっぽ

日常で感じたことなどを書きます。

ナミダクンサヨナラ

なーみだくんさよなら

さよーならなーみだくん

またあーうひーまーでー

昔お父さんの車に乗ると流れていました。

子どもの頃、その心地よい歌声とリズムに心が落ち着くような感覚があったし今でもそうです。

歌い手は坂本九さん。九ちゃんですね。すごい独特な歌い方、うっえっをむーっうっいってん、あーるこぉーうおううぉんうぉん、みたいなね、魅力的ですね。

車での音楽との思い出って、結構ホッコリするイメージです。きっと両親の選曲がホッコリする歌手選抜だったのだと思います。お母さんはもっぱらキロロ推しでしたからね。

いやいつまで車の思い出浸ってんねん早よ本題行けってなりますよね、すみません。

お母さんの車での思い出といえば、キロロの

ほーらー、あしもとをみーてごらーん

って言う歌詞を

コーラー、あしもとをみーてごらーん

ってうたってたことぐらいですかね。

お母さんは全く笑ってなかったですね。

おっと、車での思い出の話になってしまっていました失敬。

みなさんどうもこんにちは。

今日はですね、涙についてですね。

涙ってすごい不思議だと思うんです。

おならとかお腹が鳴ること同じように、涙って、はい、今出すぞ!ってコントロール出来ないですよね。消化器系と並べてすみません。

私は体育会系の部活してたんですけど、同じクラブに属してる人でもなくタイミングって様々で、全然泣かない人、感情的に怒って泣く人、悔しくて泣く人、家で泣く人、同じ時間を過ごしてるけど本当にそれぞれですよね。

引退試合とかもろですよね。皆ほとんど泣いてるけど、それって、何が引き金になってるんですかね。どこが涙のスタートポイントなんですかね。

ちょっとわかりにくいですかね。

私が言いたいのは、同じ時間を過ごしてきてるはずなのに、泣くタイミングとか泣く激しさ?とか泣き方が違うのが、なんか不思議だなぁってことなんです。

泣くのは別に良いことでも悪いことでもないと思うんですけど、大人になるにつれて泣く機会って減りますよね。

よく、最近泣いたのいつですか?って聞くみたいに、本当に、あれいつだっけなぁ、ぐらいの記憶になるんですよね。

赤ちゃんなんて毎日泣きますよね、泣くのが仕事って言葉は私あんまり好きじゃないですけど、本当に最近泣いたのはいつですか?とか赤ちゃんに聞いたら

そんなもん毎日じゃ

って言われますよね。

赤ちゃんがなんで泣くかって、私は自分の欲求を満たすためだと思うんですよね。

自分の欲求が自分の中で処理できずに外部に涙として放出することで、誰かに欲を満たしてもらう。

涙ってそのための材料なのかなって思うんですよね。

大人の涙が少ないのは、多くの欲求を自分の中で満たすことができるからやと思うんです。

嬉し泣きにはこの考えはちょっと当てはまらないかもですけど、赤ちゃんはそもそも嬉し泣きはしないと思うんでそこはスルーでお願いします。

ここから自分の話なんですけど、私は涙もろいんですよね、その涙のほとんどは怒りと結びついた涙です。怒りも欲求が満たされてないから生じる感情ですよね。悲しくて泣くことはあんまりないですね、ほとんど怒りです。怒り泣いた後に悲しみはやってきます。

で、涙もろいってことは、欲求を自分の中で満たせてないってことじゃないですか。

つまりね、

涙もろい=欲求不満

ってことですよね。

今日のブログは思いつくままに書きましたので、あくまで私個人の意見です。

皆様がどう思われるかはわかりませんが私はこう思うよって話です。

戦争中は遺書にも上からの検閲があって、訂正入れられたらしてたらしいです。

現代は

表現の自由が認められてるって幸せですね。

表現の自由を履き違えた人は炎上しても、反省すれば良いだけですからね。

幸せですね。

一歩一歩。