いっぽいっぽ

日常で感じたことなどを書きます。

あてにならんってほんまかな

 

どうも。初めまして。

 

私は小学校の教員を目指してるんですけど、なんで目指してるのかって言われると

はっきりとした理由はないんです。

 

でも、

・小学校の時の先生が好きやった

・子どもが好き

っていうのは確かです。

 

私自身末っ子で、自分がいつも1番下の立場やったから、自分より小さい子と触れ合う機会が少なかったんです。

だから、弟とか妹とかおる友達がめっちゃ羨ましかったです。

 

前述の通り、私は小学校の時の先生が人として好きやったんですけど、なんで好きやったかについて話します。

 

私は小学校のとき、女子女子した女子ではなかったんです。小3〜4ぐらいからグループってのが形成されるんですけど、どのグループにも属してない感じでした。

男の子といる方が楽しかったんです。男兄弟の中で育ったので。

ひょっとしたら、女の子には嫌な目で見られてたかもですね、今思えば。笑

 

当時はまだ周りにどうみられてるか、とかあんまり考えてませんでした。なりふり構わず良いようにも悪いようにも行動してました。

 

ただ、先生からの信頼は厚かったなって思います。学校こやん子の相談、毎日同じ服着てる子についての相談、学習に遅れがあって、除け者にされてる子の相談、を担任の先生から直々に受けてました。

その先生今考えたらすごいなぁって思います。1人で考え込まずに、児童に弱みを晒してくる感じ、めっちゃ素敵じゃないですか。

 

それを思い出して、先生って完璧な人じゃなくてもいいんやって思えましたね。笑

 

 

ちょっと話が逸れましたけど、私はその経験から、自分を必要としてくれる大人っていてるんや!って思って、自分の存在を肯定化できたんです。今思えばですけどね。

 

私は末っ子で、もちろん家族では1番年下。難しい大人の話には入れてもらえるわけもなく、何を話してるのかもわからなかったです。

 

何歳になっても末っ子は末っ子のままで、家族にとってはまだ小さいねんからってイメージが取れず今も家族の大事な話とかは伝えてもらうの最後やったり、知らんかったりします。

 

きっと、私が一番上の子どもやったら、たとえ中学生であっても、ちゃんと家族の話聞かされてたと思います。

 

知らぬが仏

ってありますけど、本当に私の家はそういう考えの人が多いんだと思います。

私のことを思ってそうしてくれてたのだとも思います。

 

でも私は仏になれません。

 

そんなこんなで有無を言わせずな環境で流れるように育ち、特に大きな不満もなくここまできました。

 

小学校の先生は私を頼ってくれました。人から頼りにされるって、本当に生きててよかったなって思うことができるきっかけになります。

 

私は小学校の先生になって、子どもが自分の存在価値を高められるような関わりをしたいです。

 

このブログを書きながら自分の志望動機が固まりました。

 

抱え込まず話してみるってすごい勇気のいることやけど、人を頼れる人って、きっと頼られる人なんじゃないかなって思います。

 

人を頼り、人に頼られる、そんな人間力を備えた教員を目指します。

 

なんだかすごく真面目な話ばかりでしたね。

 

たまにはこんなのもありかな。

 

一歩一歩。